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高輪ゲートウェイの高輪築堤

再開発が進む高輪ゲートウェイ駅付近。

毎日、山手線、京浜東北線、東海道線、そして東海道新幹線など、ひっきりなしに電車が通過しています。今では信じられないことですが、この付近は、かつて海でした。そして海の上を線路が敷かれていたのですが、その証拠となる「高輪築堤」の遺構が発掘されました。

ちょっと散歩がてら高輪ゲートウェイ駅まで見にいってきました。少し高い場所に駅があるので見下ろすと築堤は見る事ができました。

明治5年(1872年)新橋と横浜の間に鉄道が敷かれました。

当時の高輪周辺は海だったので、鉄道を走らせるために海の上に堤防を作りました。陸上を走らせようとしたのは、兵部省(軍部)が高輪周辺の土地を国防に必要だからと鉄道省への引き渡しを拒否したためです。

そこで、本芝から高輪浜を経由して品川駅までの2.7kmの区間が海の上に作られ、その堤の上を列車が走ったのです。

それ以来、現在まで鉄道用地として使われてきました。ずっと鉄道に使われていたからこそ、壊さずに保存される事となりました。鉄道に使われていなかったら、高層ビルなどの立ち並ぶエリアなので、何か建物を建てるときに破壊されていたでしょう。

遺構は、その土地に刻まれた歴史です。そこにあることが重要なのです。高輪の地に鉄道が通った築堤が残っていれば、それを見た人は、ここが昔は海だったのだなと、明治初期に鉄道を通すために堤が作られたことを知ることができます。

JRと考古学者の間では保存をめぐり意見が対立しているそうです。再開発工事のおかげで発見されたのですが、この場所に存在することに意味があると思うので、何らかの形で残ってほしいと思います。

築堤跡が発見されたのは4街区。ホテルやコンベンション、カンファレンスを想定した地上30階、地下3階のビルの建設を予定している。

菅義偉首相は2021年5月29日に現地を訪れ、「錦絵に描かれている橋梁がそのまま残っている。明治の技術屋は素晴らしい能力を持っていた。正直言って感動した」と語った。菅首相は「まさに文化遺産。すばらしいと思った」と述べています。東京の再開発プロジェクトは、日本初の鉄道路線の堤防が発見されたことで、予想外の展開を見せています。

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